2010年10月15日
もっと楽して得したい、自分だけは・・・
「無駄の線引きはモラルや常識によるのでは?」と5月にここで書きましたが、無駄とは何ぞや、と先日ある方に教えてもらいました。
「渋滞学」という学問を研究している東大の西成さんという方がおっしゃってました。「無駄とは期間、目的、立場によって大きく変わる。得られる効果の予想があって、その予想を下回るちヒトは無駄と感じる」
期間とは例えば、「これ無駄だから捨てよう」という人に対して、それがいつか役に立つと思っている人は「いや、捨てない」となるでしょう。
この両者は、期間の設定が違うのであって、1週間や10年等、期間を定めないと無駄の議論はできないはずです。
目的でいうと、蟻(アリ)の例を教えてもらいました。
アリは餌場から餌を巣に運び込みますが、その中でも2割のアリ仕事をサボっているそうです。一見この2割のアリは無駄に見えます。でも実はこの2割のアリ、ウロウロしている間に別の餌場を偶然発見することがあるそうです。「餌の運搬」という目的ではこの2割のアリは無駄ですが、「巣の存続」という目的では無駄にはなってないのです。
そして世の中は、「自分だけ得をしたいと行動するほど実は無駄が生じ、結果的に損をする」と教えられました。
「部分最適は全体最適ではない」「利他的な譲り合いが全体を良くする」
自分の仕事の枠組みを他の人の分まで広げてみて、全体として日新、良くしていきましょう。
茨城工場
所長兼工場長
渡邉 忠英