2021年7月20日
美辞麗句を並べる者にろくな者はいない
今年のプロ野球も折り返し、我がジャイアンツは満身創痍なチーム状況ながら僅差の2位に踏みとどまっています。後半の巻き返しに期待です。ひと昔前になりますが、ジャイアンツの前にいつも立ちはだかっていたのが野村克也さんです。ヤクルト、楽天の監督時代、我がジャイアンツは大変苦戦を強いられていましたが、敵でありながら好きな監督でした。
野村監督といえばボヤキがよく取り上げられますが、発言されてきた言葉には大変多くの、野球以外の部分でも参考になる、心に残る言葉を発してらっしゃいました。野村監督は選手、コーチらに対して、野球人である前に社会人たれという教えをしていたそうです。野球人生などたかが20年、そこからの人生を考えて生きよと。
「わたしは、人の悪口を言わないような人間は信用できないと考えている。悪口というのは、その人なりの視点や考え方があるからこそ出てくるものである。つまり、その人は対象となる人物や事象に対してしっかりと自分の考えを持っており、本心を語っていると捉えることができる。自分の本音をまったく言わない人間よりも、そういう人の方がわたしは信用できる。」
「人の悪口とは、本来は否定的なものであるが、わたしは悪口を言うか言わないかを信用度をはかるバロメーターとしても使っている。周囲との対立を極端に避ける人間は、自分の意見を押し隠したり、相手によって意見を翻したりする傾向がある。その人の本心が読み取れなければ、信用するかどうかの判断もできないではないか。もちろん悪口の内容にもよるが、ただ批判するだけでなく、十分に信用に足る意見なら、わたしはいつも耳を傾けていた。」
「たしかに、反対意見や批判的な意見を言うのは気がひけるものだ。場の雰囲気を乱すことだってある。しかし、相手の顔色を窺っていては正しいことさえ伝えられなくなる。特にリーダーと言われる人は、相手が誰であれ、わたしはこういう考えだ、という明確な哲学を伝えるべきである。たとえ陰で文句を言われようとも、そこを妥協してはならない。」
協調性が重んじられる日本社会ではありますが、まずは自分の考えを持つ、自分で考える事が大事である。特にリーダーにはその役割が強く求められている。野村監督から教わりました。調子のいいことばかり言う連中にはろくな者がいない。本音の議論をぜひ社内でも行いたいものです。
茨城工場
取締役工場長
渡邊 忠英